「ずっとわたしがやらなくちゃ」は本当か

先日、行動に変化を加えることのススメを書いた
10cm変えてみよう!変化を楽しむ

今日は思考の変化のススメ

 

このような考え方
ポジティブシンキングの人には
怒られそうだけど

 

赤ちゃん育て、そして子育てをしていると
今まで通りとはいかないことがいろいろあるとおもう

 

妊娠、授乳中のお酒はもちろん
ヒールが高い靴やワンピース
出張をともなったお仕事や
誰にも邪魔されずに休日の午前中は爆睡するとか

 

「子育てという素晴らしいことをしているのだから、そんなことへっちゃらでしょう」

 

みたいに言われても、出来ないことが残念だと思うことはあるし

 

「伝統的なお母さん像というのに振り回されないで、すきにやったらいいのよ」

 

と言われることもあるけど

なんだかんだで自分が選んでやってる気もする

 

子育て始まって12年、自分の子育てでも

そして産後のクラスの中でも

たくさんのお母さんたちの想いを聞いてきた

 

それでも
こんな風に考えるといい、とか
どんな在り方を目指せばいいとか

 

そんな模範解答は全く持ち合わせていないのだけど

ちょっと気がついたのは

 

今まで通りいかないことは
【ずっと】そうなのか?

 

と疑ってみると結構面白いということだ
例えば「休日の朝は寝ていたい」

 

これも、乳飲み子の時は、夢うつつでも起きておっぱい、ミルクをあげますね

 

2歳位にになっても、まだ一人で朝ごはんは作れないから、眠いけどえいやぁとおきる

 

この辺までは、寝ていたい、ができない

 

でも年長さんくらいになったら、私が倒れていてもパンとバナナくらいは食べれるかもしれない

 

小学生になったら卵かけご飯とか自分でやる

 

ふと横を見ると

夫の成長(あきらめ?)も凄まじく

朝ごはんを食べさせてくれたりするようになる

そして私は寝る笑

 

なんてことが実際に起きる可能性がある
何が言いたいかというと

子供達が赤ちゃんのときに

「わたしがやらなくちゃ」

と思っていたことは

 

「【ずっと】わたしがやらなくちゃ」

ではない、ということ

 

ちなみにこれは休日はみんなで寝ようぜ!
といってるわけではない

題材はなんでもいい

 

これ、少し意識的にやらないと

すぐ【ずっと】が入り込んでしまう気がする

 

だからそこに変化を入れる

【ずっと】を入れているのは自分かもよ

世界はもっとやさしいかもよ

 

追伸
写真の次男は、もう軽々とフェンスを越える大きさです☆