【わたしが安心すると決めること】

母から
「あなたが人前で話すなんて」
と言われ続けながら
もう15年以上

 

教師として、講師として
ファシリテーターとして
場に立つことを経験させてもらっている

 

最近その感覚が変わってきているので自分のためにも書いておこうとおもう

 

藪から棒ですが、わたしにとって世界はとても恐ろしい場所だった

 

わたしを評価して
わたしにダメ出しをして
足りないところをお札みたいにペシペシくっつけてくる

 

だから
ものすごく準備をしたし
ものすごく勉強したし(自分比ですが)
先を読んで対策を練って
場に臨んでいた

 

わたしにとって場は戦いだった

 

弱みを見せたらやられる

 

「貢献したい」がもちろんあるけど
それ以上に
「わたしはダメなヤツ」
がバレるのか死ぬほど怖かった

 

そして同時に
どっかまでやり尽くすと

 

「もうダメじゃないよ」
っていう〝すごろくのアガリ〝みたいなところがあるとおもってた

 

そして、散々やり尽くした結果わかったことは

「アガリなんて、ないっす」

ということ

 

だってわたしが思うアガリは外から誰かが提供してくれるとおもっていたから

 

うーん、結構大真面目に40年くらいおもってたけど、ここ数年の学びでそんなものはないよということが身にしみてわかってきた

 

そしたら違うことやってみるしかない

 

「もうダメじゃないよ」という言語を
「すでに大丈夫じゃん」と変えてみる

 

それは外から与えられることだ
という信念を

 

自分が自分に提供してあげられる
と可能性を広げてあげること

 

やってる途中も何度も
「そんなこと言ったって
また恥ずかしい思いするよ
できないヤツだって烙印押されるよ」
という声が襲ってくるけど

 

あまりにも何度もやりとししているので
「はぁ、またきたの、こんにちわ」みたいになる

 

例えが悪いですが
近所のお節介なおばさんみたいな感じ
追い返すとえらいことになるけど
その奥にある親切心が感じられると受け取れる

 

そして、先日わたしにとってとても難易度が高い小学生がたくさんいる場に向かう時に

 

準備もたくさんしたけど
それ以上に

 

自分が自分に安心を与えること
場と戦うのではなくて
なにとも境界線をなくして
お互いに含む含まれるという感覚を作ること

 

ここに集中して立ったその時間は
今までと確実に違うものだった
あぁ、やっぱり世界はわたしが作っているんだなぁと強く体験した日
そして、随分長いこと、恐ろしい世界に住んでいたんだなぁと、自分をいたわりたいと思った日(同時にちょっと笑って泣ける)

 

先日、ライフパーパスという人生の目的を紐解くセッションをしてもらった時にもらった言葉がこれ

 

「未来にどんな種を残す?」

 

私の残したい種のひとつは【安心】なんだと思う

 

それには、私自身が安心すること
わたしが安心すると決めること

 

これしかできることは思いつかない
まぁ、まだ行ったり来たりするけども
やってみようと思う