本当に人生でやりたいことは”得意なこと”とは限らない
最近、FBばかりでBlogの更新が全然おいついていないのですが、インナーテクノロジーの探求が進んでいます
昨日、お母さん向けに半年かけて開いてきた10回連続講座がファイナルを迎えました
感情はなんのためにあるのか、真の意味での自分を大切にするとはどういうことなのか、私たちが避けたい痛みは本当はどんなメッセージをもってきているのか、こういったことを日常でも使えるテクノロジーとして落とし込んだプログラム
これはいまモニター中のプログラム。人間の内面を見て気づきを促すプログラムなので、知識の伝達をうまくやればいいってもんではなく、それが一番難しい。試行錯誤して、たくさん準備して、悩んで、自分の未熟さに落ち込んで、気づきを得て、その繰り返しの中での半年でした
最初はいったいこれは何をするのだろうと、???が並んでいた参加者の方も、進んでいくにつれて、どんどん深まっていく場にわたしが一番感動していました
『はじまったときと全然違う感覚がある』
これは参加者の方からでた言葉だけど、私の中にも同じ言葉がありました
わたしは、物理の先生からはじまって、いろんな講座をやっていますけど、いつも動機は同じで
『聞いて!聞いて!こんなおもしろいことがあるんだよ!!すごくない!?』
を共に分かち合いたいというところにあります
これは物理であっても、だっこやおんぶ、性と体の話、メンタルモデルの紐解きも、LPCという占星術であっても、一貫して共通していると感じます
なので『これは世の中に必要だから』とか、『これをやるのは○○のためだ』とかいった高尚な理由を述べることがむずかしくて。もっというと、それが得意かどうかも結構怪しかったりします
うまくやれてる感じがあるかどうかよりも、それに惹きつけられて魅せられてもう仕方がないという感覚
かつてはこれが結構コンプレックスでした
才能ないのではないか、とか、こんなんでいいのかなぁと思うこともあり、子供っぽくて、自分勝手なかんじもしてたけど、最近すごく吹っ切れた感覚があります
自分の中にある
『これが大事』『これが好き』
を根拠なく信頼してその想いに応えていく。これでいいのではないかと。だってそこには喜びがあるから
森:インナーテクノロジーに新しいラインナップがもうすぐ並びます。楽しみにしていてくださいね。