わたしは素晴らしいって、、_『自意識と創り出す思考』を読んで_その②

こちらは前回書いた

『エゴという名のブーメラン「_『自意識と創り出す思考』を読んで_その②』

https://suzukimika.com/archives/4921

の続きです

前回は『わたしは素晴らしい』と思いましょう活動で血だらけになった話を書きました笑

いまだから笑ってかけるけど、同時は大真面目でした

だから、きっとこの本はそのとき読んでいたら受け取れなかったと思います。もしくはぜんぜん違う解釈をしていたか。

わたしがこの本に書いてあることから、自分を俯瞰して見れるようになったのは、ここ数年みーちゃんこと、由佐 美加子さんからずっと学んでやってきた自分への理解と、そこからきた自分の体験がとても大きいです

わたしはずっと自分はダメなやつだと思っていました

だから努力しないといけない

人よりもやらないと人並みになれない

ここにいられない

努力してダメではなくなったあかつきに、やりたいことがうまくいくはずだと結構本気でおもっていました(しかもとても無自覚に)

そんなわたしは自己啓発というものにめちゃくちゃハマった(それがその①で書いたブーメラン活動)

それをやると自分がマシなものになれる気がしたし、実際に社会における能力はあがる

それによって、あぁ、わたしダメじゃない、ここにいて大丈夫という安心のゴールが来るって、にんじんぶら下げた馬みたいにずっと走ったけど、結構やりまくった結論は

そんな安心はこなかった←これ。チーン

[わたしはダメなやつ]を排除して、[わたしは素晴らしい]におきかえる、もしくは上書きして保存ができると思っていたけど、そんな感覚は全くやってこない

結局いろんなことやりつくして、一番インパクトがあったのは

『わたしがわたしをダメなやつだとおもっている』これは事実だと認めることだった

『そんなことない!素晴らしいところもあるはず』

って、抵抗しているからますます刷り込み信念は強くなり、呪縛のように強くなる

『わたしは自分をダメだと思っている』を認めて感じ尽くすこと

(ちなみに”思っている”がポイントで、私が本当にダメかどうかは誰にもわからない)

正直いってこれはなかなかしんどいプロセスです。わたしはこんなに自分をダメだと思っていたんだ、、は感じないように武装することが成長だったのに、それを正面から受け取るので

ただここを泣いて泣いて味わうと、ダメとおもわれないように頑張ってきた自分、ダメなんだから諦めてきた自分への慈愛が湧いてくる

わたしの場合こっちの過程を思い出すほうが泣けてくる。あぁ、こんなにバレないように頑張ってきたねって。(映画えんとつ町のプペルをみたときのわたしの涙腺ポイントもここでした)

これは痛み突きつけるような冷たいプロセスではなくて、自分を赦して行く温かいプロセス。このプロセスを経た時に、自分のみたい、生きたい世界が見えてくる

私の場合は、人間はみんな、そのままで素晴らしい。なにもがんばらなくても、努力をしなくても、大きなことを成し遂げなくても、生かされていてそれが美しい

それが自分のみたい世界、生きたい世界

そしてそれはもうそこにあったんだ

そんな感覚が自分に湧いてきます

これは最初の

『ダメをひっくり返すための素晴らしい』

と深さが全然違う感覚があります

これはほんとに体験しかない気がする

(この体験への理解を助けてくれたみーちゃんと学びの仲間には感謝しかない)

”人間はそのままで美しくてすばらしい、これを生きる”

という自分と

”わたしはわたしをダメだと思っている”という自分

わたしの中に両方がある

どっちかではない、どっちかにしようとしない、両方ある状態で何をしたいの?

私の解釈だと、この『両方あります』という状態がこの本がいう

”自分が素晴らしいかどうかと創造物は関係ない”

”自意識を棚に上げで挑戦し

たくさん失敗して学び

作り出したい世界を作り出す”

ということなんだと思っています

ここまで書いて何ですが、私は本当にその時に自分のアンテナが引っかかるところしか読めないタイプなので、本当はもっとたくさんのことが書いてあると思います

本に書いてあることも、みーちゃんが言ってることも、勝手に私解釈にかえてしまったこともたくさんあるとおもいます

それを大前提にこの本は面白かったです。おすすめなり

<おまけ>

わたしのブログにある

森:インナーテクノロジー

の①レゾナントリーダーシップはこの由佐美加子から学んだものです2021年はこちらのJTSというプログラムでファシリテーターとして入ります。まだまだ探究は続きます