『鬼は内、福は内』_私の中に鬼はある

何だか怖いタイトルになりましたが汗
先日は節分でしたね

みなさまはどんな節分をお過ごしでしたか?
我が家の思春期息子たちは豆まきには興味なく、好きなお刺身の手巻きをたらふく食べておりました。

その時にTVで、ある地域の節分が『鬼は内、福は内』とやります、というのが流れてきました。

その放送によると『鬼を懲らしめて、改心させて、鬼は内とします』という解説でした

それをみて、『うーん、なんだかなぁ、、』と思った私

『鬼』と言う言葉に、どんな意味を載せているかは人によって異なるでしょうが、一般的には
『破壊』『邪悪さ』『恐ろしさ』こういったものかなと思います

『改心させる』ということは、これらはもっていてはダメだ、ということだと思います

ただ、そんなこと可能なのか?と思うのです

もし私が子どもを傷つけられたら、私の心は鬼になると思います

怒りが湧いて破壊したくなる衝動も私の中にはあります

それをそのまま外に表出するのがよしとは決して思いませんが、その衝動は常にあります

私はLPCという占星術を扱いますが、最もエネルギーの強い冥王星は、破壊と創造を司っています

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古い体制に新しい息吹を吹き込むには、プロセスとして破壊は避けられない

誤解を生む表現かもしれないけど、人間の中の『鬼』と表現される衝動を無くした時、私たちは『福』を感じる感受性もなくすのではないかと思うのです

少し毛色が違うかもしれませんが、私は産後に自分の感情の起伏の激しさに自分でも疲れて、感じることをシャットアウトしたことがあります。

自分以外の人がとてもうまく行っているように見えて、オットは私と違って以前と変わらない生活ができているように見えて、怒りや嫉妬や情けなさや、悲しみといったいわゆる負の感情にまみれていました

インナーテクノロジーを学んだ今でこそ、その世界の見え方は私が作り出したものだという自覚がありますが、当時はそんなリテラシーは0でした

幸か不幸か負の感情を感じないように自分の感覚を抑えることに成功した私は、ふと気がついた時に、ずいぶん笑っていないことに気がつきます

そう、一つの感情を感じないようにすると、他の感情も同じように感じられなくなるんだ、と身をもって腹落ちした衝撃を今でも覚えています

ちょっと話がずれましたが、『鬼』は常に私の中にあります。それは『福』もまた常に私のにあるから。陰陽太極図のように両方があって丸(わたし)になる。

『鬼』そして負の感情、これ自体は私たちの体に起きるただの衝動です
その衝動を私がどう理解して、外に表現するのか。

この理解の仕方と、表現の方法がわからないから、その衝動を扱いきれなくて、『そんなものない方が良い』ということになります

これはひっくり返すと、理解と扱い方がわかれば、今までと全く違う自分への理解が訪れます。

鬼は私の中にもあるものです。それをダメと責めたり、外に追い出すだけではなく、私の内にとどめて対話する。

簡単ではないですけどね。やってみたいなと思うのです。

わたしがずっと学びながら同時に提供している『インナーテクノロジー』はそんな自分の内側にある衝動の理解と扱い方の分かち合いです

この中の1つ
『レゾナント・リーダーシップ』
という、聴き方をバージョンアップする講座がをリニューアルします

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