洗濯物から自分を知る_寝坊した朝感じたこと

先日は盛大に寝坊しました
起きるはずだった時間から1時間半後
出発予定時刻まであと15分
(目覚ましを抱きしめて寝てた、、、覚えてないけど二度寝だ、、)
オットは次男の遠征車出しで早朝から出発
長男も部活へすでにいない
誰もいない家には大量の未処理の洗濯物、茶碗の山、みんなバタバタで脱ぎ散らかした服やらなんやらでえらいことになっているが、どうしようもない
この日は長男の部活の三送会(3年生を送る会)でもうすぐに家をでないといけない
というわけで、全てに
『あとでやりますので、、、』
と声をかけて家をでる
ただそれどけのことなんだけど、電車に揺られながら、昔だったらできなかったやつだなという気持ちが湧いてきた
昔だったら、まずモーレツに自分を責めた
なんでちゃんと起きないのさ
やることちゃんとやらないとダメじゃん
帰ってからあーしてこーして
あー予定していたあれもこれもできない、、
頭の中のもう1人の私が、わたしを猛烈に責める
そして一通りの自分責めの後で、矛先が他者へ。家の出来事であれば主な被害者はオット。
洗濯機くらい回していけばいいんだよ
茶碗置いていけば洗われるとおもってるし
だいたいこのあいだもさーetc
と頭の中で責めまくり、そんなわたしをまた自分で責めるという、エンドレス責め責めループ🌀
で、プンスカしながら出発して、その日の用事もどこかやらされたような、もしくはあたかも仕方なく行くようなテンションになり
夕方家族が帰ってきたら、なんでわたしばっかりオーラを出しまくり、文句言いながら1人で片付けて(家族はわたしがこわいしめんどくさくて関わってこない)だからわたしはこんなにダメになるんだと、ダメを生まれつきの性質と、他者のせいにして、落ち込んで寝る
これ、ほんと数年前まで数え切れないくらいやってた
これがいつからだろう
未処理の洗濯物は
『ただの洗濯物』であるだけで
無言に私を責める媒体ではないと
わかってきたのは
常にあらゆるものが
わたしをダメだと言ってると思っていたけど
わたしがわたしをダメだと決めていたから
そう見えているのかもしれないと気がついたのは
何年もかかったけども
これに気がつくようになって
ものすごくカラダが楽になった
息が深く吸えるようになった
ほとんどのことは誰もわたしにダメ出ししてない
(世間の人はさほどわたしに興味はない笑)
全てのダメセンサーに気を張らなくなった分
反応が起きた相手とわかり合おうとする余力が出てきた
ぐちゃぐちゃな部屋も
その日一日を楽しんで
帰ってきてからみんなで片付けたらいい
なんかこのとても当たり前かもしれないことがわたしにはとても嬉しい
そんな、嬉しい気持ち、昔のわたしの切ない気持ち、いろんな気持ちを感じながら電車に揺られていたのでした
今年の三送会は一個上の先輩の会だったのですが、先輩たちの姿にだいぶ泣きまして、来年自分の息子の代のときはどうなることやら
写真は乗り換えの15分にかき込んだ朝ご飯
『よく噛んで食べなさい』と言っていた息子には見せられない姿でした