映画メッセージ 私は過去の蓄積”だけ”なのか?

映画【メッセージ】をみました
前情報なしで見たい方は、見た後で読んでください

 

エンターテイメントとしても十分楽しめるけど、思考のベクトルがものすごく自分に向かってくる、強烈な映画でした
まだ、気持ちが揺さぶられているので、ぜんぜん言語化なんてできないのですが、勢いが残っているうちに感じたことを書きます

感じたこと1

『時間ってなんだ?時間は本当に流れているのか?思い込みかも、、、』

私達は無自覚に時間はひとつながり、過去から未来へ

川の水が上から下へ流れるように

過ぎていく感覚を持っています

 
だから【因果応報】という言葉もある
つまり、結果にはなにかしら原因がある

これって当たり前すぎて、ふだんは疑問すらもたない。

 
それは映画に出てくる未知なる生物が示す文字をみたときに、自分の無自覚さをすごく感じました

この生物(もはや生物なのかもわからんが)が出す文字は

【円形】

なんです

 
まるで日本の禅の象徴のような

(『禅 画像』 でググってみてください)

 

 

私達は通常文章を横や縦に並べて描きますよね、このブログであれば左から右へ、日本の縦書きならば上から下へ

これも多分、時間が流れるということから影響をうけている

 

 

そしてふつうは過去から未来への流れがひっくり返ることはないから、バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなのが映画になるんですよね

 

 

でも【流れている】は果たして本当なのか?
仮に流れているとしても、それは一方通行で、戻ることができないものなのか?

 
【今】というのは

未だ来ていない【未来】にそなえるために

つかわれて【過去】となり

 
【過去】の蓄積で自分ができている
(と思っている)
から

 

自分はずっと『備える人』で
いつまでたっても

 

”わたし、できた”
と安心するところに
行くことができないのかもしれない

 
↑これ、最近の私のもやもやでした
それがこの映画を見たことで
すごく浮かび上がってきたのです

 

じゃあ、結局最初の疑問

『時間ってなんだ?時間は本当に流れているのか?思い込みかも、、、』

には私はどうこたえるか

 

 

本質的になにか
はわからないけど

 

 

”時間は一方通行に流れていて
私は過去の蓄積だけでできている”

という殻から出ることができる

 

そんなイメージを持ちました
そして、どうしてなかなかその殻から出てこれないのかの理由も自分の中で降りてきました

それは長くなるのでまた今度

あ~もう一回見たい

 

追記
愛キャッチの写真をお菓子の”ばかうけ”にしようかすごく迷ったが、やめときました(笑)