3.11から続く道

3.11のあの日

私は自宅から遠く離れた
相模原駅のドトールで
授業準備をしていました

コーヒーのソーサとマグカップが
カタカタいいはじめて
ん?これは地震だと思った瞬間に
ゴォーという地響き(がした気がした)
とともにものすごい大きな揺れがきました

電気が一気に落ちて
”みなさん、外に出ましょう”
という店員さんの声掛けで
這うように外へ

外にでても揺れは大きく
駅の大きな柱の根元にしゃがみ込んで
揺れが収まるのを待ちました

揺れがおさまっても
足の膝がガタガタして
頭が混乱していました
でも、まだ、危機感は薄かった

いやーびっくりしたなぁくらいだったかと

ひとまず揺れが収まって
会社に行って、そこで生徒が見せたくれた
スマホの動画を見たとき
東北でとんでもない地震が起きたことを
しったのです

それでも、それは始まりにすぎなくて
津波のことを知り
そして原発事故

二人の小さな子供を抱えて
考えても答えが出ないことが多すぎて
途方に暮れて

あれから5年が経ちます
私は家族を失うことなく
家も失うことなく
今を迎えることができている

そういう意味では
いわゆる当事者ではないから
だからこそ、何度もその状況を思いだし
何をすべきか感じて共有する役割を
いただいたのだと思う

毎年この3.11の週の授業では冒頭で
当事何をしていたか、何を感じたかを
投げかけます

年々歳は下り、
今年担当する生徒は2011年当時6年生

1.17の週も生徒への投げかけを
していましたが、歳を経るごとに
見事に関心は減っていきます

20年前の神戸の震災をもう知らない彼らは

あー、なんかきいたことある

という、まるでフィクションのように
なるのです

それを知っているからこそ
その事実を伝えて
意識を向けてほしい

さらにこんな日本
いや世界の状況をふまえて
大学受験の

その先に何があるのか
何に向かうのかを

問いかけます
そして、自分にも日々問いかけます
この時代に、この国に、このタイミングに
生を受けた自分の意味とは

宇宙はどこまであるかわからないけど
”宇宙船地球号”

地球で起きることは
自分のことだから